1日目 軽井沢 



8:15ホテル>R254>有料・三才山トンネル>R152>海野宿>R18>追分宿>軽井沢>旧R18>碓氷峠
>めがね橋>松井田妙義IC>上信越道>富岡IC>富岡製紙場>富岡IC>上信越道
>関越道>花園IC>R140>皆野寄居道>Pm7:00彩の森カントリークラブ426Km(2日目214Km)


 

松本を出てR254に向かう。「有料・三才山トンネル2511m」ルートを選び「海野宿」を目指す。




エアコンを切り、爽やかな風を取り入れ、緑の多い山間部を走る心地良さ・・・




Am9:30  北国街道『海野宿』 (信州・追分から直江津を結ぶ)

江戸時代の旅籠屋造りや、茅葺き屋根の建物と、明治以降の堅牢な蚕室造りの家並みを形成。




3度目の海野宿   観光客のいない静かな歴史のふる里をしばらく歩きました。




「海野格子」、「卯建(うだつ)」が上がる白壁の民家


 

道の中央を流れる用水、その両側に立ち並ぶ格子戸のはまった美しい家並みが往年を伝える。




細い路地にも風情があります




道の中央を流れる用水




浅間山を眺めながらのR18は、軽井沢までちょっと渋滞が続いた。




追分宿』にも立ち寄ることにして・・・(ここから直江津までが北国街道)
中山道69次のうち江戸から数えて20番目の宿場。 現在の長野県北佐久郡軽井沢町追分にあたる。
北国街道(北陸道)との分岐点でもあり 「追分」の名はこれに由来する。




追分宿の保存はあまり良くない(旧中山道に入れば多く残っているらしい)

江戸を中心として、東海道、中山道、甲州街道、奥州街道、日光街道の五街道が整備された。
五街道以外にもたくさんの街道が設けられ、その一つが『北国街道』です。




追分宿にある堀辰夫文学館の前




入り口の門が「追分宿本陣裏門」を移築した。




堀辰夫の『風立ちぬ』は読んだのだが?
作中にある「風立ちぬ、いざ生きめやも」が有名な詩句である。




調べてみた・・・美しい自然に囲まれた高原の風景の中で、重い病(結核)に冒されている婚約者に
付き添う「私」が彼女の死の影におびえながらも、2人で残された時間を支え合いながら共に生きる物語。




いろいろ寄り道をして軽井沢に向かうR18は渋滞していたので、遠回りだが
R146鬼押へ回り、有料の白糸ハイランドウェイを下りてきた。白糸の滝のPは満杯!




せせらぎの音を聞き、「風立ちぬ」をここち良く受けて歩く。




記念写真も順番待ちです




落差は3m、幅は70 m。 地下水を源流とする潜流瀑(せんりゅうばく)




軽井沢の『白糸の滝』の人出に驚きです。


 

豊富な水量の湧水を、滝に加工した人工の滝である。
2つの谷底に湧いていた湧水を、間の尾根を切り取って湧水線としてつなげたものらしい。




本家の白糸の滝よりは、かなりちんけですが水量は多く、澄んだ水辺はとても涼しいです。
伏流水 が岩壁の割れ目から流れ落ちる




湧水を使った人工の滝でも美しい景色だよ!


 

旧三笠ホテルを眺めて軽井沢銀座に向かいます




駐車場は裏道まで入らないと空いていません(神宮寺のP?)




お昼はラーメンでしたが30分程待たされました




軽井沢銀座で行列が出来ていたモカソフト




有名な写真館だそうです。タレントがここでカラフルな衣装に着替え屋外で記念写真・・・テレビで見たね!




アプト式鉄道時代の廃線敷を利用して、横川駅〜熊ノ平駅の間の約6kmを遊歩道として整備し解放。




『碓氷第三橋梁(めがね橋)』 
煉瓦アーチ橋で径間数4、長さ91m、高さ31mでわが国最大の煉瓦づくりアーチ橋。




明治25年に完成し、昭和38年新線開通に伴い廃線。平成5年に国の重要文化財に指定された。
平成13年廃線敷を利用した遊歩道「アプトの道」として整備され、橋上を歩くことができました。




軽井沢から旧18号(183?のカーブがあった)を走り到着


 

高さ31mのレンガ造り橋脚を見上げる




ここから眼鏡橋まで登ります。 途中スズメバチ注意の看板に驚き、頭上を見上げた。


 

名古屋市の中央線の定光寺廃線より整備されつくしている。


 

めがね橋の両側のトンネルを散策。トンネルの中は寒いぐらいの風が吹き抜けてくる。
どうして冷たい風が吹くのか?碓氷峠(うすいとうげ)の中央にがあるからです。分かるかなー?




碓氷新線がかすかに奥に見えます




めがね橋から見下ろすと、橋の大きさが実感される。




こちらのトンネルに入るがそれ程涼しくはない




通り抜けたいが、時間がかかるのであきらめました。




当時造られた煉瓦造の橋の中で、現存しているものとしては最大のもので、煉瓦の数は200万個を越えている。




安中市の古い屋敷(安中にNHK大河ドラマ「八重の桜」の八重の主人になった新島襄旧宅がある)




有名な「峠の釜めし」を買う! 店の後ろは妙義山




松田妙義IC>上信越道>富岡IC




正面に見えるのが「富岡製糸場」




製糸場まで車で行くと、正門前にいたガードマンが右折を支持した。駐車場があると思い右折して車を走らせた。
行けども々長い塀を走らされた。戻ってみると、道路工事のガードマンではないか、職員にPの地図を渡された。




 富岡製糸場は明治5年(1872年)、明治政府が日本の近代化 のために最初に設置 した模範器械製糸場
2014年に世界遺産登録を目指している富岡製糸場です。




¥500を左の券売所で支払う   『旧富岡製糸場』記念碑
富岡に製紙工場が選ばれた訳:生糸の原料確保できる・豊富な水・広大な土地・燃料の石炭がとれた。




主要な建物は、木の骨組みに、壁に煉瓦を積み入れて造る 「木骨煉瓦」で建てられる。




 色々なレンガ積みを紹介           繭をベルトコンベアで2階の乾燥場に運び込む




『西繭倉庫』 何処もれんが造りの頑丈な建物です。




何の記念碑でしょうか?




『西繭倉庫』 創業当初のレンガ造りのままの状態で良好に保存されている。




広い運動場があったのに驚きです。 煙突は立て替えられています。




検査人館(3号館)




『女工館(2号館)』には豪華な天上を施す。当時の日本にはない特徴。




繰糸場の屋根(熱気を上に被せた屋根の窓から出す)は暑さ対策がされている




繰糸場』 繭を生糸にする繰糸工場には300人りの繰糸器が置かれ、
全国から集まった工女たちの手によって本格的な器械製糸 が始まる。
集まった彼女たちは技術習得後、それぞれの地元で指導者として活躍した。




小屋組は「トラスト構造」で、建物内部に柱が無い広い空間が保たれる。
明治5年(1872年)繰糸場は長さ約140.4m、幅12.3m、高さ12.1mで、当時、世界的にみても最大規模であった。




案内の人に説明を受ける(この後時間が無いので自由行動)
生糸値段の低迷などによって昭和62年(1987年)3月操業を停止。その後も場内の建物は大切に保存されています。




     左)診療所      右)『ブリュナ館』 フランス人工場建設総合指導者のポール・ブリュナ




『寄宿舎群』 日本の工業化は製糸からはじまったのです。その将来の指導者が寝起きした建物。




関越自動車道の「上里SA」>花園IC




Pm7:00 少し迷いましたが『彩の森カントリークラブ』に到着です




ゴルフ場の部屋(1人朝食付3,980円プラン♪)はビジネスホテルの2倍以上の広さです
「峠の釜めし」が夕御飯です。部屋が良いと味も格別です。


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