2日目 ひがし&にし茶屋街 ![]()
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AM6:50散歩>尾山神社>金沢城公園>8:15ホテル:朝食:9:30>バス>にし茶屋街>バス>金沢駅>バス
>ひがし茶屋街>金沢周遊バス>香林坊>長町武家屋敷跡>野村家>14:50ホテル15:05=名古屋19:00
![]() 朝食は朝早い団体さんの都合で8時からなので、1人で散歩に出かけた。 尾山神社 |
![]() “金沢城公園” 本来はなかった「いもり坂口」より入場 前田利家は尾張国愛知郡荒子(名古屋市中川区)で生まれ、織田信長に小姓として仕え、戦功を立た。 1575年に越前府中3万石を与えられ、1581年に能登一国を領する大名となる。 |
![]() 本丸へ続く “極楽橋” 石垣が見事です。 石垣は「金場取り残し積み」で表面の縁取りだけをきれいにそろえ、内側を粗いままにしておく。 |
![]() 戌亥櫓跡より>左端が石川門櫓 |
![]() 三十三間長屋は武器、弾薬庫と推定。 |
![]() 信長が本能寺で倒れた後、豊臣秀吉に臣従して、加賀国の北半国を加増されて、金沢城を居城とした。 |
![]() 石を切り出す時の作業分担などの為につけられた刻印が残る |
![]() 奥の橋爪門続櫓は二の丸の正門を監視する役目。内堀に架かる橋爪橋を渡ると「橋爪門」 |
![]() “五十間長屋” 菱櫓と橋詰門続櫓を結ぶ多門櫓(たもんやぐら)。 武器等を保管する倉庫として使用。、非常時には城壁の役目も。 内部は、日本古来の木造軸組工法と呼ばれる方法と、柱と柱を繋ぐ横木を組み合わせた耐力壁によって構成され、 釘やボルトを1本も使っていないにも関わらず耐震性にも優れています。 |
![]() “菱櫓” 2001年に復元された。当時は大手と搦手(からめて)を見張る物見櫓として重要な役割を持った。 建物の平面が菱形(内角が80度と100度)になっており、死角を少なくし視野を大きくする効果がある。 “橋爪門続櫓” 天守閣を持たない金沢城では、二の丸が政治の中枢を担っていた。 その二の丸の正門である橋爪門を見下ろす位置にある物見櫓。 |
![]() “石川門”一の門 右に曲がると二の門 かつては搦手門(からめてもん)と呼ばれる裏門でした。 2層の菱櫓と複数の門が組み合わされた枡形(ますがた)と呼ばれる複雑な構造になっており、 敵が進入してきたときに勢いを鈍らせる目的で設けられた。 屋根瓦には鉛を使用。溶かして鉄砲弾に作り変えるための工夫がしてある。 |
![]() 金沢城址の会話( 最後に足を取られドスン!)をしながらバイキング(まずは洋食から)です。 「金沢周遊バス1日券」¥500をホテルで買い求め『にし茶屋街』へ出発です。 犀川大橋↑ |
![]() 片町で下車し、犀川さいかわを渡る。「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの・・・」 で、有名な 詩人・小説家「室生犀星」の故郷である。 |
![]() 雨の『にし茶屋街』は静かそのものです。今でも営業している茶屋さんがあります。 |
![]() 『にし茶屋資料館』はお茶屋「吉米楼」(よしよねろう)跡地に当時の造りを再現したもの。 大正時代、弱冠20歳でベストセラー作家になった島田清次郎の青春小説「地上」の舞台となった場所。 31歳という若さでこの世を去るまでの波乱に富んだ人生を物語る資料が数々展示されています。 |
![]() 2Fは金屏風や長火鉢などを配したお座敷に、芸妓さんの扇子や三味線、太鼓などが置かれ、 ベンガラの綺麗な「赤」の壁が粋で華やかな空間が広がっていました。贅沢な場所です。 |
![]() 妙立寺の裏『願念寺』の「一笑塚」 『塚も動け 我泣く声は 秋の風』 芭蕉 松尾芭蕉の金沢での一番弟子『小杉一笑』は金沢における蕉風の先駆をなした俳人。 1689年旧暦7月「おくの細道」で金沢入りした松尾芭蕉は、一笑が前年の11月6日死去したことを知り慟哭。 22日、ここ願念寺で催された追悼会で、その悲しみを芭蕉が詠んだ句 |
![]() 『妙立寺』(忍者寺) 予約が必要で、時間が合わなかったので外観のみ参拝。 隠し階段・隠し部屋・落とし穴・見張り台・金沢城へ 続く地下通路など外敵を欺く種々な仕掛けを備えた。 忍者が いたのではなく、複雑な建築構造からそう呼ばれる。 |
![]() 妙立寺から「ひがしお茶屋街」へ |
![]() 周遊バスが右回りなのに、一般バスで左周りに出かけ不便この上なし。金沢駅からスタート。。 3番「周遊バス」でまたもや一般バス(パスは利用可)乗り込んでしまった。 |