2012年9月24日 竹田城址 



Pm8:20高見>名古屋高速>名古屋西>東名阪>亀山JCT>新名神>草津JCT>名神>吹田JCT>中国道
Pm11:30〜Am5:20加西SA240k>>福崎JCT>播但連絡道>和田山IC>6:30〜7:30立雲峡(りつうんきょう)
>8:00〜10:00竹田城址330K>〜10:30竹田駅>11:00〜1:00生野銀山>>>Pm7:30高見630k


中国道の加西SAで、車中5時間睡眠を取り走ってきた。



播但連絡道>和田山IC料金所から、雲海(朝霧)の上にそびえ立つ竹田城址をパチリ!Masami撮影




6:30立雲峡の駐車場に着いたら、撮影終えた人とすれ違う。1時間遅かったが?
日本のマチュュピチ?『天空の城』 雲海(朝霧)の上にそびえ立つ感じはまさに「天空の城」




立雲峡より竹田城跡 兵庫県朝来市(あさご)  

天守台を中央に南千畳・北千畳・花屋敷が放射線状に配され、城が築かれている。
山全体が、虎が臥せているように見え「虎臥城(とらふすじょう・こがじょう)」とも呼ばれる。




残っていた西側の朝霧が背後から上がってきた  Masami撮影




標高353.7mの竹田城跡は1441−43年に但馬の守護大名・山名宗全が基礎を築いたとされ、
太田垣氏が5代にわたって城主となったが、信長の命による秀吉の但馬征伐で1580年に落城。
最後の城主・赤松広秀が豪壮な石積みの城郭を整備




朝霧が薄れ、陽がさして来たら、「あっ!虹が!」




朝霧を発生させる円山川が山裾を静かに流れる。 急いで雲海が残る竹田城址に向かう。
雲海が出る時期は、9月下旬?4月上旬の早朝だそうです。今日は最高だったかも?




竹田城址の駐車場に着いたら雨が降ってきた。小雨になるまで朝食を取る。
20分程で小降りになったので歩き始める。


 

円山川を挟んだ立雲峡を後ろに登城です




15分程で城址に着く。 立雲峡から見たより大きな城址である。




左の石垣は大手正面櫓台石垣で、穴太積み構築法である。  ↑北千畳から天守方面を見る




北千畳から湧き上がる朝霧を眺める。 黄金色の稲穂がきれいに見えます。




『二の丸跡』     雨で濡れた芝に腰を降ろせないのが残念




規模は南北400m東西100mにおよび、完存する石垣遺構としては全国屈指のもの。




天守台へはしごで登る             ↑花屋敷を見下ろす




天守台より南千畳     足腰が強い武士が多かったことでしょう




左)本丸への虎口跡の急な段差の大きな階段を下りる。 
これだけの石を運び上げたのは農民が多く駆り出されたんだろうね?




南千畳より




登ったり下りたりと、日本のマチュピチ「天空の城」を堪能しました。
車は登り、下り専用の一方通行でした。寺町通りの法樹寺へ向かいます。




JR竹田駅の裏に、竹田城主の赤松広秀の墓所が『法樹寺』にありました。塀には鉄砲狭間が?  
山頂の城までの道中に安置してあった33観音を、当寺に集めてあった。墓は奥にひっそりと建つ。

1577年中国攻めの司令官である羽柴秀吉に降伏して、秀吉の配下となり、
その後、小牧・長久手の戦いで武功を挙げ、竹田城を与えられ、現在の総石垣の城を完成させた。




高倉健主演「あなたへ」のロケが竹田城址であった     JR竹田駅                     




1600年 徳川家康は、但馬金銀山奉行を配置、佐渡金山、石見(いわみ)銀山と並び天領とした。
明治元年(1868年)には日本初の官営鉱山(政府直轄)となり、石門には菊の御紋が入ってる。




『生野銀山』の坑口は、フランス式の石組で築造されている。




江戸時代の坑道は、作業者ひとりがやっと通れるほどのもので、岩肌にはノミの跡が今も重々しく残っている。


灰吹銀

1200年前に発見され、徳川3代将軍家光のころ最盛期を迎える。
「灰吹銀」 鉱石から銀を吹き分ける「灰吹法(はいふきほう)」で精製した銀
日本では朝鮮半島から招いた技術者によって、国内では石見銀山に最初に導入された。




近代の坑内 : 仏人技師を招き鉱山を近代化・機械化




露天掘り跡が見られた。この露頭を探し当てた後に地中へ掘り進んでいったのである。


佐渡の金山、石見銀山、生野銀山を制覇