2011年4月5日 岩崎城 

愛知県日進市岩崎町市場67

岩崎城は戦国時代の様子を残す貴重な城跡で、本丸跡には古墳の遺構も見つかっています。

 


日進市「白山」の交差点より岩崎城を見る

 


無料の駐車場がありました

 


「役行者堂」に役行者の像が安置

 
 

本園では2つの常滑焼のかめを伏せてあり、2種類の音色を楽しむことができる全国でもめずらしい。

 

岩崎城は丘陵の突端部に立地し、空掘(箱掘)によりいくつかの郭に分けられます。郭の中でも馬出
と本丸をつなぐ土橋がかけられていました。櫓台は土橋を上から守れる位置に設置されています。

当時の土橋は人一人やっと通れるくらい狭かったと考えられています。現在はコンクリートで固め、
橋の幅もやや広くなりました。橋の先に見えるのが岩崎城歴史記念館です。
 


岩崎城と歴史記念館
 


歴史記念館のロビーに丹羽氏清氏の像が

 


 左)題字『忠義を表す』は最後の将軍徳川慶喜の書であり、徳川家康への忠義を表すという意味。
右)1709年ごろにすでにあった石に、明治40(1907)に文字を刻んで供養した。




築城年代ははっきりしていませんが、織田信秀(信長の父)により築城され、属将・荒川頼宗が守備していた。
1529年三河国・松平清康(家康の祖父)に尾張攻略で攻め落とされたが、丹羽氏清が修繕し四代(約60年間)の居城となる。


1584年、羽柴(のちの豊臣)秀吉と徳川家康・
織田信雄(のぶかつ信長の三男)の連合軍が戦った小牧・長久手の戦いでは、
丹羽氏は後者に属し、犬山方面から岡崎を目指した羽柴方の行軍を阻止しようとして落城する「岩崎城の戦い」など
一族を犠牲にしながらも戦功をたて、徳川氏に認められていきました。

 
 


天守閣から東方面

 
 


大正15年(86年前)「白山」より岩崎町を望む

 


日差しと花に誘われ、ピクニックの家族が来ていました。

 


岩崎城跡の建物の遺構で唯一礎石を有した
岩崎城築城初期の遺構で、隅櫓の原初的形態のものであったと考えられます。

 


岩崎城跡発掘調査の際偶然にも土塁の下から発見されました。


Pから入りPに戻ったので正門を見落としてしまった残念