2011年1月24日 京都冬の旅 

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金戒光明寺>光雲寺>建仁両足院寺京都東IC>関ヶ原IC>東海大橋>pm7:30自宅




金戒光明寺きんかいこうみょうじ(白河禅房・くろ谷) 御影堂「大殿」
法然上人43歳(1175年)比叡山の修行を終え念仏道場を開いた場所


 

御影(みえい)堂  浄土宗最初の寺院 & 新撰組ゆかりの地




御影(みえい)堂内には、中央の阿弥陀堂内に法然上人坐像を祭る。
両脇に遣唐使・吉備真備(きびのまきび)ゆかりの吉備観音と、干支「卯」の守り本尊・
文殊菩薩像を安置


    

           左)阿弥陀堂       右)吉備観音

慶長十年(一六〇五年)豊臣秀頼により再建。当山諸堂宇中最も古い建物である。
恵心僧都最終の作、本尊阿弥陀如来が納められている。
如来の腹中に一代彫刻の使用器具が納められてあることから「おとめの如来」「ノミおさめ如来」と称されている。


阿弥陀堂は1605(慶長10)年に豊臣秀頼が再建したもので現存する堂宇のなかでは最古のもの。
恵心僧都最後の作である本尊の阿弥陀如来が納められている。





お寺の廊下、畳は冷え切っている(持参の毛糸部屋履きを重ねる)
案内の人に感心がられる。




方丈庭園は、法然上人800遠忌記念で平成18年春に作庭された「紫雲の庭」




池の水人の心に似たりけり にごり澄むこと定めなければ
池の水は、人の心に似ている。濁ったり、澄んだりと定まらないで変化する。

「南無阿弥陀仏」と称えれば、阿弥陀様が極楽浄土へと往生させて
くれる。 法然上人




茶室




金戒光明寺 1175(承安5)年、法然が43歳の時、比叡山の黒谷を下り、草庵を結んだ場所。
浄土宗本山の1つだが、幾度となく火災に遭った。





ごう」の遺髪を納める供養塔 三大将軍家光の乳母・春日局が建立




古く、くろ谷の西にあった中山文殊が、江戸時代初期徳川秀忠公菩提の為に建立の三重の塔に安置されている。
この本尊の文殊菩薩は御影堂に移された。





光雲寺 (寺の前に平日ならば車止めれそうです)
寺の中興に尽力した徳川2代将軍・秀忠公の娘(江の子)で、後水尾天皇の后でもある東福門院和子(まさこ)の菩提寺。




南禅寺の境外塔頭(けいがいたっちゅう)である*光雲寺葵と菊の紋が並ぶ珍しいお寺


 

左)東福門院の木像 右)長年秘仏であった聖観音像


 

左)明正天皇寄進の鐘楼は1650年ごろ?当時の物である




書院の前には疎水を取り入れた池泉庭園で、比叡山をバックにした借景庭園である。




坊さんの進める当寺だけのおいしい「抹茶と葛餅」を頂いての鑑賞(有料なので一つを分け合う))




江戸時代の都名所図会や都林泉名勝図会にも掲載された名園で、第七代小川治兵衛が改修した。




庭園の端に
巨大な瑪瑙(めのう)の手水鉢がある。
加藤清正が朝鮮出兵から持ち帰った物で、これだけの瑪瑙の巨石は例を見ないという。

徳川家の手に入り東福院が当寺に寄進


  

岡崎神社の脇を通り、金戒光明寺へ戻る




車まで戻ってくる    1193年法然上人を訪ねた時池で洗った鎧を・・・2代目の松
カーナビ通りに着いた場所が裏門?車は無料なのでガイドブックを買う。




建仁寺 両足院(けんにんじ りょうそくいん)
寺名の「両足」は、仏の尊称の一つ「両足尊」にちなんで名付けられた。


 

枯山水が何ともいえない!




中庭(日本庭園の石の配置のすばらしさ)




桃山時代の絵師・長谷川等伯の襖絵「水辺同童子図」


 

黒田長政の守護神・毘沙門天  右)伊藤若冲の「雪梅雄鶏図」




桃山時代の白砂の代わりにコケを敷き詰めた庭




庭の飛び石がいいですね





歪んだ手作りの大正ガラスを透かして見る


 

虎とムカデのデザインにビックリ




秘仏・毘沙門天像(7Cm)が御開帳 元々鞍馬寺の毘沙門天像の胎内仏であった。




喫茶 ふじわら*スタンプ3個集めて無料の喫茶券で・・・ここはケーキガ付きます。
生八橋本店に行くはずが、違う八橋店のPに止めるも、車を止めさせてもらい関係ないお店へ。
コーヒーと食事の後に戻り、生八橋をお土産に買い求め帰ってきました。


 

陶芸作家 ふじわら伸氏の作品 数年前にも伺い2度目です


京都も寒かった