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26日Pm7:45高見>春日井IC>中央道>長野道>上信越道>pm11:50〜am6:10小布施PA280k>6:50〜8:40黒姫野尻湖PA
>信濃町IC>9:15〜10:40黒姫高原311k>R8>R19>R20>諏訪(万治の石仏)>岡谷IC>春日井IC>PM9:30自宅650k
![]() 一晩続いた雨が心配!小布施PA(6時間半睡眠)*福井のコスモスへ行くか>野尻湖PA(90分睡眠)では上がっていた |
![]() 信濃町ICの出入り口 道の駅で早速野菜とすっぱい野ブドウを買い求める。 |
![]() 入園料\500でしたが「JAF割引ありますか」と聞いてみたら、\450で入れました。 |
![]() 肌寒い15度の黒姫山は雲に隠れていたが、しだいに薄日も差してきました。 |
![]() 色とりどりのコスモスに囲まれて |
![]() 50品種100万本のコスモスが風になびく?、黒姫山、妙高山、野尻湖を眺めながら! |
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![]() マリーゴールドが満開です |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 多種多様なダリア |
![]() 『我ときて遊べや親のない雀』 小林一茶(1763生)は、3歳で母を亡くし、8歳で義母を迎え、15歳で江戸に奉公に出され、20歳ごろ俳句の道をめざした。 『父ありてあけぼの見たし青田原』 39歳の時ふる里に帰って父の看病。父は、弟と田畑・家屋敷を半分ずつ分けるようにと遺言を残し他界。 一茶がふる里に永住するまで、10年以上にわたって、継母・弟との財産争いが続き、50歳の冬、一茶はふる里に帰る。 52歳で、28歳の妻を迎えたが、3人の子供と、妻きくも37歳の若さで亡くなる。再々婚し、一茶の没後、次女やたが生まれた。 『焼け土のほかりほかりや蚤(ノミ)騒ぐ』 1827年6月、柏原宿の大火に遭遇し、母屋を失った一茶は、焼け残りの土蔵に移り住むも、11月に65歳の生涯を閉じる。 |
![]() 長野市大岡特産センター(松本と長野を結ぷ国遺19号沿い)で遅い昼食を取る 食堂のおばさん達の、誰にも声をかける接客に和みました。長野市内は時間がかかりました。 |
![]() 下諏訪町の諏訪大社下社(春宮 ) |
![]() 一日の終わりのお勤め中です。龍の欄間を見つけ?ドラゴンズは優勝するだろうか? |
![]() ![]() ![]() 岡本太郎画伯が「世界中でこんなおもしろいものはない」と紹介! 春宮のすぐ西側を流れる砥川の対岸に石仏が |
![]() 万冶の石仏:万次3年(1660年) 石仏は大きな自然石の上に不自然な仏頭を乗せたユニークな石仏 |
三度回ると願いが叶うそうなので、二人して回りました。 伝説>石の大鳥居を造る為にこの石仏を材料にしようとノミを入れたところ(そのノミは現存している) 傷口から血が出てきたため職人達は祟りをおそれた。その晩、上原山に良い石材があるという夢を見て、 その山に行き鳥居の石を探し、見つけることが出来た。職人達はその後石仏を刻み阿弥陀如来として祀った。 |
岡谷IC>飯田山本IC>昼神温泉(入浴)>園原IC>春日井IC
時間と距離はかかりましたが、温泉で疲れを取り楽しんでこれました。