2010年2月9日 稲置街道 

一里をふらっと・・・9:20>11:20散策してみました。

江戸時代に名古屋城下と犬山城下を結んだ脇往還(街道)。「犬山街道」とも呼ばれる。
「稲置(いなぎ)」とは、当時街道沿いにあった村の名称(「稲置村」、現・犬山市)から付けられた。




東大手門(玄関)の面影を残す。清水橋を西から東へ渡ります。




県立第一中学校は東区出来町 の県立旭丘高等学校の前身である




七尾天神社は文亀(1501〜4)に、境内の天神池に七つの尾の霊亀が菅原道真の木像を背負って入ったのが始まり。
それを見ていた修行僧が、七つの尾の霊亀を刻み神座とし、菅原道真公像を草庵に安置した。
元和年間に徳川義直が拝殿を建て、後の成瀬家の祈願所となる。





霊亀の背に七度水をかけると願いが叶うかも?




神様は何でも救ってくれるんですね?


天満宮には牛と梅




名古屋台地の清水口(R41西側の道)からは下り坂である。




江戸時代の荷馬車、人力ではきつい坂かも?




曲がり角に「亀尾清水」があったそうです




R41で分断された街道を探して進む




近くの信号で渡り街道に戻る



街道脇に秋葉宮が祭ってありました




名鉄清水駅(一昔前は外堀を走っていた)




地図を見ながら思いを巡らし




清水駅を過ぎると間もなく白龍酒造。江戸時代創業の造り酒屋




「久国寺」 名古屋城の鬼門除けとして、本丸天長峰の名を借りて号とした。




岡本太郎作の梵鐘*鐘のねは低く余韻が長く残ります




鐘の名は、「歓喜」と名づけらえている。 角に見えるのは人の手です。 故岡本太郎は、
「私は今までにない鐘、人が見たら、あっと腰を抜かすような鐘を作らなければならないと思った。」という。




明治天皇清水御小休所 明治13年(1880)、天皇は中山道経由で名古屋を経て京都へ巡幸された。




八王子神社で石碑を見つけることが出来ませんでした


 

稲置街道の石碑を見つける




街道は真っ直ぐ行きますがここまでとした。


 

解脱寺(げだつじ)

粟稗(あわひえ)に貧しくもあらず草の庵 (松尾芭蕉) 名古屋滞在中の作  文政五壬午十月建立


  

名古屋城フラワープラザの盆梅展は2日前に終わっていた


 

室内の「カトレヤ」と外の庭の「エリカ」




名古屋城の石垣の修復*二羽の白鳥を眺め、またの散策まで!



皆さん また何時か街道を一緒に歩いてください