2007年10月30日 揚 輝 荘     2007年の旅

http:/揚輝荘/名古屋市千種区法王町2-5-21



『日泰寺』

1898年(明治31年)ネパールとの国境近くのインドピプラーワーという所で釈迦の遺骨を発見
遺骨はシャム(現在タイ王国)王室に寄贈され、日本に分けられ、
明治37年、釈迦を示す「覚王」を山号とし日シャム寺?が建設された。国名がタイに変わり『日泰寺』



車は日泰寺に止め、手を合わせてから出かけよう。




揚輝荘の表札は悪者に盗まれ、新しい表札です。




揚輝荘の敷地は1万坪あったが現在約3000坪


『本能寺の変』 信長側近の伊藤蘭丸祐道(すけみち・19歳)は、1611年48歳の時
名古屋の本町に呉服小問物問屋を開業し、これが後のいとう呉服店(松坂屋の前身)である。  



その300年後、大正7年(1918)伊藤蘭丸祐道から15代目、伊藤次郎左衛門祐民(すけたみ)が
名古屋市千種区に別邸「揚輝荘」を構えた。            NPO法人揚輝荘の会より




鱗(うろこ)張りで(神戸のうろこの館を思い浮かべる)




和風の造りと洋室とが違和感なく統合されている。「伴華楼」はバンガローのもじりである。




瓦塀に時代が見える
廃物利用も兼ねていたのかも

多くの樹木に囲まれたオアシスでもある




豊彦稲荷

昭和初期に松坂屋京都店から勧請された稲荷神
仙洞御所に置かれた御所稲荷(豊春稲荷)が本社。




アベマキ
樹皮からコルクを採っていたからコルクノキとも呼ばれる




スダジイ
秋に実る細長いドングリは、ほんのり甘く食べられる




庭園は、池を中心とした回遊式の庭園で、修学院離宮の千歳橋を模したといわれる白雲橋










白雲橋の天井にはの絵が




団栗の落ちてくる音が楽しい




財力を持つと大きな家を造るものなんだな




『三賞亭』揚輝荘で一番最初の建物




大正7年、茶屋町本家から移築




煎茶茶室なので炉は切ってない




池に映る良い時間帯は何時かな〜




竹林が増えすぎかな、珍しい***チク?が生えとった。




大きな鳥がいると騒いでいたな〜写っとるがや!




紅葉の時に来たいもんだ




茶室を囲んでいた土塀




五色玉石張りの橋




よく見ないと見落としてしまう




今は立体駐車場に阻まれて見えないそうです?掘り進んでほしかったな〜 ここも五色玉石張り




揚輝荘の敷地内に地下トンネルが残されている

何度か訪れて追加していきたいです