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尾州廻船内海船船主 内田家(びしゅうかいせんうつみぶねふなぬし うちだけ) 明治初期建築 |
『主 屋』 内田家は、幕末から明治にかけて内海を代表する有力船主であった内田佐七家 |
借金をして事業を始め、後に借りた金持ちより大富豪になりやっかみを受ける。 今度はお金を貸した藩主からは踏み倒された(百何十億?)そうです。 ボランティアの方が話す! |
小屋組の針が太く自然の形をそのまま 内田家は知多半島で30隻あった内、10隻を所有していた。 |
![]() 御殿飾り(お供えのひし形の餅は本物なので毎日冷蔵庫にしまうそうです) |
![]() 座敷南側主庭 |
![]() 『座 敷』 天井は貴重な屋久杉で張られている |
![]() 座敷南側主庭 |
![]() 隣に建つ佐七の弟の佐平治家住宅へ |
『旧内田佐平治二家住宅』 本家の隣に建つ 分家である内田佐平二家の家屋で、太平洋側に現存する廻船主の家屋の中でも大規模なものです。 |
![]() 飾りつけも丁寧です |
![]() 『つぶて浦鳥居』 南知多町に建つ 神代のむかし、伊勢の朝熊山に集まった神々が、力比べをすることになり。伊勢湾を隔てた知多半島まで、いちばん大きな岩を遠くまで 投げたものが勝ちということにして、山の岩を投げた。神々は力いっぱい投げた。勢いよく飛んできた岩が、今のつぶて浦の岩になった |
![]() パワーでみなぎった後ろ姿! |
内海えびせんべいの里へ寄るも試食がコロナで中止・・・がっかり!