8:25千種駅>9:30大井宿(恵那駅)==中山道==1:20〜2:05武並駅>千種駅
![]() 7:40自宅>今池で同行者と同じ車両に>地下鉄>話し込んで2駅乗り越し栄まで>千種駅に戻る |
![]() 無事快速に乗り込み60年振りの同行になる |
![]() 恵那駅に着き中山道をDrスランプの案内でいざ!(いきなりおどけたスナップから) |
![]() 大井宿から大湫宿方面へ(藤村高札場まで) |
![]() 中の村庄屋の家(屋号:本酒屋)1861年皇女和宮が通行した時にお接待した |
![]() 長島川が氾濫した時に「浸水防止柵」で食い止めた |
![]() 長島橋(おさじまはし)から浸水防止柵の方へは下っている |
![]() 県道68「坂の上」交差点 |
![]() 観世音菩薩(悩みを聞いてくれる仏様?)の像を安置してある堂 |
![]() 西行(1118〜1190)が、湧き出る泉を汲んで墨をすったと伝えられる「西行硯水」がある。 「水準点」 水準測量によりその標高が精密に求められた点。 |
![]() 神明社の境内にある芭蕉句碑 『山路きてなにやらゆかしすみれ草』 先の「三社灯篭」左の神明社にあるらしい |
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![]() 中央線を渡り左折==ようやく中山道を歩く気分になってきました |
![]() 歩きながら季節を感じる・・・田植えの準備に忙しい |
![]() 山藤を眺め、十三峠への石畳を歩きます。 |
![]() 芭蕉の句碑 「西行のわらじもかかれ松の露」 |
![]() 展望台から見る恵那山 |
![]() 『西行塚』(武士・僧侶・歌人) 『願わくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ』 |
![]() 中山道を走っていたグループ(飛脚もこんな感じかな) |
![]() 「槇ケ根一里塚」 珍しく両サイドに残っている(塚の間が当時の街道幅である) 江戸から数えて88番目 |
![]() 整備された西行の森 |
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![]() ドウダンツツジも残る(車でも来れます) |
![]() 石仏群は見当たりません(西行塚周辺の事かも?) 右の細い道が中山道 |
![]() 「槙ケ根立場(茶屋)跡」 鉄道ができるまであった(江戸時代末期) 井戸跡 |
![]() ここは中山道から分かれて土岐、多治見を経て、名古屋、伊勢へ向う「下街道」の分岐点でもあった。 「右 西京 大阪 ・ 左 伊勢 名古屋 道」と書かれ、明治8年に建立 |
![]() 江戸まで行く1861年「皇女和宮」の休憩の為に造られたという(大政奉還が1868年15代徳川慶喜) 第120代仁孝天皇にんこうの第八皇女の和宮 親子内親王(かずのみや ちかこないしんのう) 江戸幕府第14代将軍・徳川家茂の正室 |
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![]() 『首なし地蔵跡』 パンの耳(砂糖をまぶした)を食べながら休憩タイム! 誰かが忘れた帽子をかぶせる? |
![]() 伝説では、二人連れの武士が道中、地蔵前でい昼寝をしていたが、一人が眼を覚ますと、仲間の首がない。 怒った武士が「仲間が襲われたのに黙ってみているとは何事」と地蔵の首を刀で斬り落としてしまったという。 |
『山笑う古希の同期と一里塚』 半歩
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