2014年4月10日 三河国分尼寺にじ ![]()
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![]() この後雪が激しく吹いてきた 豊川市の名鉄・国府駅東側の一帯は奈良時代に国の地方行政機関が集まった「三河 国府」(官庁街)が築かれ、 官立寺院の国分寺や国分尼寺が建立され ていた。 |
![]() 『国分尼寺こくぶんにじ』 中門及び回廊の一部を遺構の真上に実物大復元を3億円かけて復元 |
中門跡調査状況(東側から撮影) |
![]() 南大門跡から 天平13年(741)聖武天王が発した『国分寺と国分尼寺建立の詔』により、東大寺を総本山として諸国に建てた。 ☆詔(みことのり)は、天皇の命令、またその命令を直接に伝える文書☆ |
![]() 三河天平の里資料館 |
![]() ![]() 中門の瓦は持ってみると、とても重たいです。 出土した鬼瓦 |
『羊型の硯』 全国で7点出土。この硯は平城京で出土した2点と良く似ている。 西域方面の羊をモデルとしたもので、シルクロードの文化が豊川の地まで到達したことを物語っています。 |
近くの赤塚山で焼いた瓦です。 |
![]() 珍しい『蹄脚円面硯(ていきゃくえんめんけん)』三河国府出土 |
![]() 再現された中門 |
![]() 文化庁が許可し、予算が降りて、立派な建物が復元されたのでしょう |
![]() 材料はヒノキを使用しています |
![]() 尼寺には10名の尼と10名の女中が働き、国分寺は20名の僧がいたそうです。 |
![]() 1270年前の本物の礎石に触れてきました |
![]() 金堂基壇から北門を見る |
![]() 雪が降りしきる中の案内中!突風で名札が背中に回って来た! 高床式の物置跡から板造りの敷地境界塀 |
![]() 写真では分からないが、雪が一番激しく振っていた『北門』から『中門』を! |
![]() やっと雪が止み青空が見えてきました |
![]() 750〜800年の間に建てられたらしく、建築技術は素晴らしいです。 まだら模様の瓦は、均一な色に焼き上げる技術はなかったようですね! |
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![]() まだ調査が進まない国分寺跡敷地から八幡宮へ |
![]() 満開の梅を観て八幡宮地立ち寄る |
![]() 7世紀半ばに大分県宇佐八幡宮から勧請されたと伝えられています。 奈良時代に入って三河国分寺が造営されると、その鎮護の神となり人々の尊崇を受けました。 |
![]() 国分寺塔跡(五重塔?) |
![]() 聖武天皇の遺品は正倉院に収めてあるそうです |
![]() 『国分寺塔跡』 大きな礎石が2つ残っていました(その一つの礎石にカメラを置いて撮影) |
![]() 国分寺跡に建っているお寺を移築して、只今整備中でした。 |
![]() ![]() 国分寺跡に建っていた移築前のお寺(東に建設中) |
![]() 上の写真と比べると分かる、現在の国分寺跡。 右端の建物が移築新築中のお寺 |
![]() 改装中 |
![]() 『十三佛地蔵』 日本古来くから信仰される13の尊い仏さま |
![]() この無名の『梵鐘』が唯一当時の貴重な遺物です |
![]() 国分寺と国分尼寺を歩くと、舗装はされていますが、とても長閑な空間でした。 |
![]() 古代遺跡『国分尼寺』の背景は、奈良の景色と似た雰囲気が漂います! 国分尼寺の正式名称は「法華滅罪之寺(ほっけめつざいのてら)」>>聖武天皇は何の罪を消したかったのだろう? |
私も南無〜!