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愛知県海部郡大治町
Am9:15高見>中村>大治町>10:00明眼院10q
![]() 日本最古の眼科病院 『馬島 明眼院(まじま みょうげいん)』 山門はありませんでしたが、仁王像が頑丈な鉄枠で保護されていました。 五大山安養寺といい密蔵院の末寺で、延暦21年(802)の草創で聖円上人の開基である。 |
![]() 大迫力の仁王像は3.5mあり、運慶作?とも言われている。 |
![]() 阿形の左腰に刻まれた渦巻が珍しい↑ |
![]() 傷みがひどい阿吽の仁王像 |
![]() 当時の面影を残す『石垣塀』 |
![]() 再築された本堂前には寄進された幾つもの燈籠が並ぶ |
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![]() 手水 |
![]() 手水の裏側に「太山安養寺」と「海東部馬島村」の文字が読み取れる |
![]() ロウバイと紅梅が満開!境内には早い春が訪れているようでした 下に落ちたロウバイの花を拾い集めていた人がいました。尋ねると「香りが良いので持ち帰るんだそうです」 |
![]() ロウバイと紅梅が青空に競演! 白梅はもう少しだね! |
![]() 明眼院の東側の民家に、『馬島明眼院診療所跡』の碑が立っていました。 |
![]() 庫裏 『照光門』 庫裏(くり)とは、仏教寺院における伽藍のひとつ。庫裡とも書く。裡は裏の俗字であり、どちらも“うち”や“なか”を意味する。 |
![]() 寺は明治維新以降、神仏分離や医事法の制定で 僧医(僧侶が医師としての医療行為を行うこと)が禁止されたことで、衰退してきたようです。 |
![]() 『多宝塔(大日堂)』 大日如来坐像が安置されています 現在、この寺に残っている古い建物としては、尾張名所図会にも描いてある「多宝塔」 (ただし2層構造の上重は欠落している)だけのようです。 |
![]() 明眼院は円山応挙、小堀遠州なども眼病の治療に訪れたとされる寺院です。 |
『大日如来坐像』を格子の隙間から、何とか拝むことが出来ました。 |
![]() ![]() ![]() 大日如来を守護する四天王だろうか凄味が伝わってくるような形相です。 |
![]() 多宝塔を村社側から眺めると『相輪』は2つしかない、欠けていると思われる。 |
![]() お参りに来ていたお年寄りに説明を受け、私も目を洗ってきました。 「明眼院」から始まった眼科医の伝統は今も脈々と続いているようです。 水受けは江戸時代の作 |
![]() 至る処に手の込んだ燈籠が建ち並び、当時の寺の大きさがうかがえます。 |
![]() その脇には、治療に訪れたキリシタンが幕府や尾張藩の迫害を逃れて寄贈したという「キリシタン灯籠」が立っていました。 燈籠の竿部分に地蔵と見せた聖者像の彫り込みが有ります |
![]() 本堂の裏手にある朽ち果てた建物 |
![]() 池の周りに配置されている燈籠(加藤清正が高句麗遠征をした時に持ち帰った「高麗灯篭」)や水受け |
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![]() ひょうたん型の池のふちを歩きながら、『小堀遠州ゆかりの庭園』を堪能! 冬は水抜きがしてありました。 |
![]() 隣接する馬島社(神仏分離により、神社はこちらに祭る)にもお参りしてPmからのテニスに出かけた。 |