2013年12月16日 苗木城跡



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「恵那付近」 R19は何度も道路工事で止められました




中津川市R257の城山大橋より撮影

苗木城は木曽川を天然のお堀に見立てた、城山の絶壁の上に建つお城であった。




城山大橋より下流を撮影




車で行けるとこまで入って行った




苗木城祉案内図




石垣の奥が「風呂屋門跡」です。   苗木城は18の門で固められていました。


 

『足軽長屋跡』




苗木城(赤壁城)の伝説
 苗木城は木曽川の絶壁に建てられた城で、 白壁が夕日に輝くすばらしい城。
ある日激雷と激しい雨が降り、昼間であったが夜のように暗くなり木曽川は激流になり白い牙をむき荒れ狂った。
嵐が治まった後、真っ白であった城の壁が何かで引っかいたような爪のあとで赤くはげていた。
 大勢の左官が集められ修理されたが白い壁になると嵐が来て、また赤くなってしまう。 何度塗り替えても駄目でした。
 殿様も城下の人々も白壁に塗ると木曽川から白い色を嫌う竜が来て、かきむしってしまうのだと信じ、
それ以降は赤壁に塗り、城の東に竜神様を祀り竜神を鎮めました。それ以来「赤壁城」と呼んだ。




祈祷所『龍王院跡』に踏み入れた時、急に木々がざわめいた。




風吹門は大手門とも呼ばれ、城下から三の丸への出入り口に位置する重要な門であった




『駆門かかりもん』 木曽川畔の大手門から三の丸への通用口




大矢倉跡』

苗木城は、天文年間1334年に遠山直廉によって築かれた。
本能寺の変後、秀吉派の森長可により落城しましたが、1600年
には旧領復活が叶う。
 直廉は、岩村城主遠山景友の次男で織田信長の妹を正室としていた。
 直廉の娘が後に信長の養女となり武田勝頼に嫁ぎ、勝頼の嫡男信勝を生んでいる。


 

三層の大矢倉跡には建物はないが、兵の夢のあとが忍ばれる。




三の丸から




大矢倉土台の巨石には見事な切り込みが入った石垣が見られます




『ため池』は馬の飲み水に利用                      『北門跡』


 

本城で一番大きな二階建の『大門』は、三の丸と二の丸を仕切っている。


 

御朱印蔵』 切石で整然と積まれた石垣の上に建てられていた




『綿倉門跡』  年貢として納められた真綿が門の二階に保管されていたことからこの名がある。




『坂下門跡』




『菱櫓門跡』




『千石井戸』 思ったより小さいが、枯れることなく千人の用を達したという。




『本丸口門』 千石井戸の右側に


 

鉄砲や弓などの武器が保管されていた







巨岩と融合させた石垣




苗木城は標高433mの高森山の二つの巨岩の上に建つ山城である




『矢傘蔵置』 R257の城山大橋を見下ろす




『馬洗岩』




馬洗岩から天守を見上げる




中津川市街、木曽川、白くなった恵那山、木曽山系の山並みが一望でき素晴らしい!




『天守址』

今は展望台になっていますが、実際の岩に切り込みがある柱の穴に建てられていました。
天然の巨岩を上手く利用した奇抜な石垣が見事で、石組の技術の素晴らしさが分かります。




本丸跡に柿の木がありましたが、いつごろからあったのだろう?




天守下から大矢倉跡を見る




左)玄関口門                              右)台所群へ




二の丸跡』礎石が一面に広がった城西端の台所と各部屋群


 

巨岩を石垣に組み入れたり、自然石を階段に加工したりと自然に溶け込んでいます。


 

『不明門』 整備された城跡に感服です


 




巨岩の下から清水が湧き出て、貴重な水の補給源。


 

『八大竜王社』 巨石に囲まれた祠

城の白壁を削り赤壁に変える龍を鎮めるために、城の東に竜神様を祀り竜神を鎮めた祠。


 

『物見矢倉跡 木曽川に面した崖の上に建てられています


 

物見矢倉隣接建物群跡


 

『仕切門跡』 二の丸と本丸を仕切っていた門跡


 

竹藪に囲まれた小道のドングリをふみながら進むと・・・




ひょっこり「千石井戸」にたどり着いた


 

石垣がまるで美しいアートに思えてきた




何処から運んだのかおびただしい石垣が見られました


  

空堀と土塁もしっかり残っていましたね!




赤壁城(苗木城)の伝説を後にした

苗木城に危機が迫ると木曽川から霧が一面に立ち上り、城を隠してしまうという伝説もあり「霞城」とも呼ばれる。


晴天に恵まれ、気分爽快な一日でした。