2013年6月24日 丹波篠山のユリ園 


23日(月)PM8:00高見>名高速>東名阪>新名神>名神>西宮>阪神高速3>生田川出口>11:00ホテル200k

24日Am6:30〜7:30散歩>8:20ホテル>新神戸トンネル>箕谷>高速北神戸線>六甲北道路
>神戸三田>中国道>吉川JCT>舞鶴若狭道>丹南篠山口>篠山城>玉水ゆり園>篠山城下
>R372>谷性寺(桔梗)>亀岡>京都縦貫道>沓掛>R9>京都東IC>名神>新名神>>Pm6:00高見460k


カーナビ無しの愛車でも、間違えることなく到着しました。

 

『グリーンヒルホテルアーバン』 1泊朝食付(セミダブルに2人) 1人¥1950
以前同じホテルのグリーンヒルホテル神戸」に泊まったことがあり、「神戸」が分からずたずねたホテルでした。




グリーンホテル前 Am6:30〜7:30 正面は新神戸駅と六甲の山


 

ホテルを出て西へ1本入るとこの坂である                      北野三本松不動院




北野異人館街を散歩




雨に濡れた石畳が続く


 

細い路地が趣を増す


  

狭い急坂。坂の途中にオランダ人貿易商、 故チャーリー・エリオン邸宅があることに由来するそうです。


 

『うろこの家』 神戸で最初に公開された異人館




『うろこの館』 外壁の天然スレート石の形状が魚のうろこに見えることからこの名が


 

ドイツの貿易商ゴッドフリート・トーマス氏が建てた「風見鶏の館」
異人館の中で、レンガの外壁の建物としては唯一のもの。


 

左)北野のシンボル風見鶏館の前
右)『萌黄の館』 1903年(明治36年)アメリカ総領事ハンターの邸宅


 

左)神戸バプテスト教会                              右)北野坂




北野坂のしゃれた外観のスターバックス




7:30〜8:00 1泊朝食付¥1950の朝食(ご飯2杯)です。コーヒーも付いてたよ!




レストランの壁面には手作り作品が売られていて、アクセサリーを一つ買いました。




トンネルの入口が幾つかあるのは知りませんでした




「阪神高速32号新神戸トンネル」
 新神戸駅付近から北神地域の玄関口である箕谷までをトンネルで一直線に結ぶ、南北のアクセスルートです。
全長約8.1kmの一方通行としており、安全快適に走行できる。また箕谷では阪神高速北神戸線と接続。




中国自動車道に入りほっとし、最初のパーキングで休憩!




目的の篠山市に到着 * デカンショ節、ボタン鍋、黒豆が有名で小さな盆地の町である
♪デカンショデカンショで半年暮らす(ヨイヨイ) あとの半年寝て暮らす(ヨオーイ ヨオーイ デカンショ)




まず篠山城址へ向かい車を止める。濠と石垣を眺め観光の始まりです。




篠山城址の駐車場に止め、お城を散策しようとしていたら、ゆり園まで無料バスで往復したらと!運転手さんに言われた。
3ヶ所に分散していることを教えられ、1人入園料¥500を支払う。




兵庫県丹波篠山「玉水ゆり園」 最近観光の名所として誕生した。




工夫を凝らした園内は十分楽しめます




玉水は城下の水源としての井戸の名である。園内にはその遺跡があり、わずかながら湧水している。




アジサイ園もあり、日照りが強かったのでここは涼しいです。




田に引く取り入れ口も機能的に作られていますね!




60種、10万本が花咲き競ふゆり園である。




平日は本当に静かです




これだけ沢山あると“ゆりの香り”が漂っています。




池に映った雲とアザミが穏やかな景色を演出!




杭の上に置いて記念撮影




3ヶ所目の場所へ移動




広すぎて足が疲れてきました(静岡県掛川の可睡園の方が素晴らしいかな)




ここまで広いと圧巻です(スキー場のユリ園は何か所もいきました)




丹波の黒豆で有名な黒豆を使った「黒豆もなか」をゲット!


 

帰りのバスは途中下車をしてぶらぶら・・・名物の黒豆の商品を扱う店とぼたん鍋の看板が目に付く




『大正ロマン館』前を歩く (篠山城跡から北に延びる通り沿いに建つ西洋館)


 

篠山藩の青山歴史村にあった『山門』                駐車場に戻り篠山城址へ登城




篠山城の見取り図




幅広な外堀




『篠山城址』 
関ヶ原の合戦後1609年(慶長14)に、 徳川家康が、大阪城の豊臣氏包囲の一環として藤堂高虎に築かせた。
西国諸大名のおさえとするのが目的でもあったとされ、6か月で完成した。豊臣家は1615年滅亡(大阪夏の陣)




城主には家康の子松平(松井)康重(やすしげ)が入った。




15か国20の大名の助役による天下普請により6か月で完成した。
天下普請(てんかぶしん)とは、江戸幕府が全国の諸大名に命令し、行わせた土木工事のこと。


 

二の丸への入口  井戸水はユリ園の「玉水」水源から地下水となってつながっています。




二の丸への入口をくぐり振り返った所




二の丸と大書院(左側に上段の間)
 上段の間は、最も格式の高い部屋で、幅6.9mの大床。




南西の角から見る峰々




『大書院』 2000年4月落復元 棟高は12.88m
一大名の書院としては破格の規模と古式の建築様式を備えたものです




右)復元された建物は平屋建てで北(妻側)を建物正面とします




『埋門うずみもん』(南側の門) 石垣には多くの符号、刻印がありました。




本丸に建つ「青山神社」と「天守台」




頑丈過ぎた天守台の為、脅威を感じさせるから(徳川幕府に対して)天守閣は建造されていない。




天守台上部との石垣(犬走りから17m)     篠山盆地に囲まれた中心の篠山に築城!




天守台上からの景色・・・東側には小学校が建っています




お互い上下からの風景です。こちらは一人で回っていたので、駐車場へ急いで引き返す。




お徒士町『武家屋敷群』 お城の西外堀沿いに、江戸時代末期の雰囲気を残す。
*「お徒士町おかちまち」とは藩主の警護に当たる衆の人達(東京に御徒町おかちまちがありますね)




かや葺で白壁の門構えが整備されていました




武家屋敷にベンツが横づけされ、現実に不思議さを感じた。


 

『河原町妻入商家群』 観光用の駐車場が要所にあり、便利に回れました。




旧街道の面影を残す町並み(地区で一番大きな江戸時代の建物・西坂家住宅「綿屋」)




町並ウオッチング




築城後町づくりも始められ、城下町篠山の商業の中心として栄えた。




興味を引いた一部分が・・・




静かな街道の趣ある板塀の前で




明智光秀ゆかりの地、亀岡「ききょうの里」!
元は「亀山」と呼ばれていたが、伊勢の亀山と間違えるので「亀岡」に改名したとか。




まだ“ききょう祭り”前なので\500のところ¥300でした(花が少ない)
桔梗の花弁は5枚が標準だが、変異で6枚の花弁の桔梗を見つける(倍の10枚もあったそうです)




咲いている桔梗を見つけて撮影です


 

山里の田んぼの奥にひっそり建つ光秀寺


 

雑節の一つ『半夏生はんげしょう
半夏烏柄杓<カラスビシャク>)という毒草が生える多湿で不順な頃である


 

『ルドベキア』 名前が分からないので庭掃除の人に聞いてみました




光秀寺ともよばれる『谷性寺こくしょうじ
1582年に明智光秀が豊臣秀吉の軍に山アの戦いに敗れ、坂本城に向かう途中、山科小栗栖で民衆に襲われ殺された。
溝尾庄兵衛は光秀の首を隠しておき、後に光秀が生前に信仰していた本寺に運びねんごろに埋め葬ったとされている。




谷性寺への石段を登った山門に掘られた桔梗と?


  

本尊として不動明王が祀られている。
明智光秀が八上城を攻略するときこの不動明王を崇めたところ、将兵はその加護を受けたと。




『明智山門』 「光秀公首塚」の正面真東側に位置し、この門を通して首塚の正面が見える。
『光秀公首塚』の石碑は安政2年(1855年)に光秀の怨念を鎮めるために建てられた。




1600年初めの戦国の世をタイムスリップしてきた丹波国の観光を終え、尾張の国へ帰るか!


  

地元の団子3兄弟と亀岡牛のコロッケを食べた(火お落とした油を熱くし直し1個の為に)


 

新名神の「土山SA」>御在所SAで「みそ焼きうどん定食」
京都市内の一般道は時間がかかったな〜!高速は早い早い!


今回も大いに楽しんで来れました