2013年3月18日 寿長生の郷京都・新島八重 



いつ行くか?『今でしょ!』てな訳で、出かけた『京都冬の旅』最終日!

8:15高見>東名阪>新名神>瀬田東IC>10:15〜11:30寿長生の郷>R422>R1>京都>12:45〜1:30新島旧邸
>1:50〜2:20得淨明院>R1>4:30〜あゆや(琵琶湖)>6:30養老ミート>7:30〜海鮮館(スーパー)>9:00高見320k




寿長生の郷すないのさと』 滋賀県大津市の南東に位置する




マンサクの花を確かめ、梅園へと歩を進める。




「桃花の願」 三月、桃の節句月に、一年の願を書く習慣があるそうな?




『どこまでも花から花へ二人して』 二人そろって元気に、羽ばたけますように!




1000本の梅が咲き誇りました(梅の実を栽培しているので、総て白梅です)




高台からの眺めは一層映えます!




Masami撮影


 

早咲きの桜が咲いていました


 

お菓子売り場に展示された、江戸時代中期の五人囃子。




大阪万博に出品した草木染の「風神雷神」だそうです


 

限定の二文字に釣られた甘党の私・・・高いのに!




『新島旧邸』 激動の幕末を生きた八重・・・「ならぬことはならぬ」   P(有料)は道路を挟んである




新島旧邸母屋1階をインターネットで事前予約  「八重さん」と 




「新島襄と八重」は近代日本人で最初のキリスト教式結婚式を挙げたカップルとされています。




新島襄の私邸で、ボストンの友人J. M. シアーズの寄付によって建てたと言う。凄い友人ですね。
日本人のために建てられた和洋折衷の木造二階建て住宅として、また、同志社創立者の旧居としての
価値が認められ、昭和60年(1985)に京都市指定有形文化財に指定された。


 

会津若松城下で生まれた八重は87年の生涯のうち、前半26歳までを会津で過ごす。
この時代、八重がよく知られるのは、会津戊辰戦争で男装し鉄砲を持って活躍したことです。

しかし全国的にその名が知られるのは、新島襄じょうと結婚後の京都時代です。




満開の紅梅を八重もお風呂の中から眺めただろうか?




130年前?の部屋はセントラルヒーティングになっていました




「新島襄と八重」が使用した硯


知恩院の有料Pに止めて歩いて行くのだが、雨のため車で得淨明院の正確な場所を確認。
山門前にどうにか1台止めれるスペースがありました?雨のおかげだね!




得淨明院とくじょうみょういん宮家ゆかりの尼寺で戒壇めぐり
明治27年、伏見宮家第三皇女であった誓圓尼(せいえんに)公が、
兄の華頂宮の御殿を受け継いで創建した尼寺で、信州・善光寺大本願の京都別院である。


 

本堂には、善光寺の本尊・一光三尊阿弥陀如来の分身が祀られている。
その床下を闇の中で一周すると本尊と縁が結ばれて功徳を得られるという「戒壇(かいだん)めぐり」ができた。
正に真っ暗で、本尊と結ばれた金具に触れてきました(後ろから来た人がペンライトを灯していたが?)


帰りは6時間半をかけて下道(彦根→関ヶ原は高速)で帰ってきました